クリエイティブとしてのハンドメイド

私たちは生きている限り何かを考えています。考えること、それが私たちの本質でもあるからです。生きている間にさまざまなことを考え、周囲のさまざまなことから影響をうけています。

私たちは何かを作り出さずにはいられないようです。ただ生きているだけでは足りない、何かを残したい、誰かに何かを伝えたい、自分の生きていた証、自分が一生懸命取り組んだことを、誰かに、何らかの形でわかってほしいと考えているのです。私たちはただ働くのではないのです。確かに納税の義務があります。働いて、国のために貢献する義務があります。自分が生きる分は自分で支払う義務があります。ただ、それだけではないのです。私たちに必要なことは、それだけではないのです。

私たちはただ生きるために働くのではないのです。ただ稼ぐためだけに働くのではないのです。どうせ時間を費やすのであれば、自分がしたい事、自分が情熱を傾けられること、自分が自分でいられることに時間を使いたいのです。そのために腐心して自分の道を探すのです。自分が自分らしく生きていくためにはどうしたらいいのか、自分に向いていることは一体なんなのか、それを探して、迷いながら、喜びながら、さまざまな工夫をしながら生きているのです。

「職人」という人は何かを作ることに長けた人です。何かを作ることに優れ、自分の価値をその仕事に見いだすことができている人のことを指します。私たちはそのような職人の仕事の恩恵を沢山受けて生きています。たとえば家屋です。鉄筋のビルでも無い限りは、「大工」という職人集団が集まってその家屋を建てるのです。その仕事の中にもさまざまな工程があり、さまざまな分野の職人が関わるのです。職人の方々はそれが「仕事」であるからそれに携わることはもちろんですが、それだけではないのです。自分がその仕事を通じて自分らしくいられるから、自分がその仕事を通じて価値を提供できるから、残せるから、その仕事を行うのです。

ハンドメイドで作られたものは、少なからず作った人のイマジネーション、クリエイティビティが込められています。私たちが手にする誰かが作ったアイテムの数々は、そんな職人の仕事の結晶であり、職人が頭の中に思い描いていたことが具現化された姿です。その人が作らなければこの世に存在しなかったアイテムが、そのハンドメイドの品なのです。それらを手にしたとき、それらを手にして価値を感じたとき、使ってみて役に立ったとき、私たちが感じる「買って良かった」という気持ちが、そのままそれを作った人の喜びなのです。

この世の中には「誰かが作ったもの」が溢れています。普段過ごしている街もそうです。道路や乗り物もそうです。私たちは常に誰かが「便利になれ」と、「快適になれ」と、考えて作ったものを利用して、そのうえで自分らしさを表現できるクリエイティビティを発揮しながら生きているのです。生きるということは、考えることです。生きるということは「創る」ということです。自分が生きていた証、自分が腐心した証を、それぞれが影響し合いながら誰かに伝えているのです。そんな毎日を繰り返して、私たちの文明は発展してきました。