工場製の方がいい製品とは

私たちの暮らしはどんどん利便性を高めていきます。誰が「不便」と感じたのかわからないほど、私たちの暮らしはオートメーションが進み、手を下さなくてもいい仕事などが増えていきます。

その影にあるのは私たちが自ら築き上げた圧倒的な工業力と、自動化を制御する機構を操る技術力です。それらは「ハンドメイド」などという言葉が一切不似合いなほど、同じクオリティのものを大量に供給するのです。私たちは日頃からそれらの技術に触れ合っています。歩くことをせずとも遠くに辿り着ける自動車、電車、船、飛行機などはまさに、「工業化」の象徴として君臨しているものです。それらは人間が作ったものではあるものの、「ハンドメイド」という言葉とはあまりにも不釣り合いです。それらは私たちが用意した工業化によって新たに生み出された鉄の生命とも言えるもので、私たちの知恵と技術、そして労働力が結集したものであることは間違いありません。

そして街を見渡してみると、少し都会へ行けば鉄筋コンクリートのビルのジャングルです。それらは過去に木を伐採して作ったような建造物とは違い、堅牢で、それでいて機能的です。その中に何千、何万もの人を飲み込む圧倒的な構造物は、ひとりの「巧」が構築できるようなシロモノではありません。工業機械が緻密な建築計画を体現したものです。私たちの暮らす街自体が、そのような工業化の象徴であるともいえるのです。

工業化、工場生産品はそんな大きなところから私たちの身近なところにまで及びます。家電ひとつとってみてもそうです。私たちが日頃使っている便利な家電製品の数々は、大量生産を主とする工場で作られたものです。そこにある「人の意志」というものはその製品の設計、「どのように使うのか」という有り様、デザインなどです。もちろん、部品のひとつひとつは人の手で組み込まれたものもあるでしょうが、それでも筐体や部品のひとつひとつは人間の手作業でつくられたものではないということがわかるはずです。

それらの工業力、技術力が体現されたような製品の数々は、私たちにさまざまなことを伝えます。発展し続けるコンピューターはより高度な演算能力を有しています。小型を続けるモバイル端末は、手のひらの中で高度な機能を発揮し、私たちがデスクトップコンピューターで行なっていたようなことをいとも簡単に片手でこなせるようになったのです。それらは間違いなく「職人」の仕事ではなく、総体として私たちが持つ技術力、生産力の象徴です。

それらの製品においては、「人」がハンドメイドという直接的な形で関わっているものではないのですが、明らかに私たちの存在意義が込められたものです。それらによって私たちは技術力を体現し、工業化を象徴するのです。それらのアイテムは均一のクオリティを持つことが大前提であり、同じ製品では同等の機能を発揮しなければいけません。それらはハンドメイドよりも工場で生産された方が、明らかに信頼できるものなのではないでしょうか。職人の意志ではなく、人類の叡智の象徴ともいえる製品は、「インダストリアル」であるべきなのです。私たちはそのようなものに対して、自然と信頼と安心を感じているのではないでしょうか。