ひとつひとつが唯一無二になる

ハンドメイドの「良さ」のひとつとして、「唯一無二である」ということが挙げられます。唯一無二であるということは、「同じものがこの世にふたつとしてない」ということになります。

私たちはさまざまなことをそのアイテム求めるものです。利便性は当たり前として考えているのです。その利便性は低価格で実現されなければ満足できません。そして、利便性も価格も満足できるものになれば、今度はそのアイテムを所有していることに対する別の「ロイヤリティ」を求めることになるのです。そのような私たちの「モノに対する希望、欲求」は、尽きることがないのです。どのようなアイテムを手にしたとしても、「もっとこうだったら良いのに」と考えざるを得ないのが私たちなのです。

そのような私たちであるからこそ、世の中のさまざまなビジネスが成立するということも考えられます。自家用車を持っていたとしても、古くなれば乗り換えたいのが私たちです。古い車に乗り続けることをなぜか恥ずかしく思うのが私たちです。日本の道路ではそんなにスピードを出すわけにもいかず、市販されているどのような車でも実は十分な性能を有しているのです。それなのに新しい車が欲しいであるとか、もっと高級でオプションが豊富な車が良いということを感じるのはなぜでしょうか。それは私たちが無意識のうちに「他人の目」を気にしているからです。他人の目が気になるから、傷だらけの車には乗りたくないのです。少しでもキレイな車でドライブをしたいのです。それは少なからずある、私たちの「自意識」です。羞恥心の延長のようなものです。

そのような気持ちが私たちに「物欲」を生じさせます。そしてその物欲を制した販売者が、その人に新たな買い物を実行させるのです。ハンドメイド品が兼ね備える「唯一無二」というロイヤリティは、既成の大量生産品に飽きてしまった消費者にとってはとても魅力的に見えるでしょう。私たちの「他の人とは違う何かを」という希望を叶えてくれるもの、それがハンドメイドのアイテムが備えた完全なオリジナリティなのです。もちろん、すべての人が「誰かに見せたい、差をつけたい」と考えているわけではないでしょう。「自分はそういうものが好きだ」という第三者など関係のない気持ちもあるでしょう。

「唯一無二であること」が、自分にとってどのような理由を持っていたとしても、誰かが時間をかけて作ったハンドメイド品には必ず他の同じ製品とは違う「個性」があります。その個性は意図せず生じたものであるかもしれません。狙って同じ表情をつけることは出来ないのかもしれません。だからこそその「表情」に価値があるのです。他の誰も持っていない、自分だけのアイテム、余人が理解できない、その愛用の品の「顔」、そのようなものを持つことが、さりげなく「オンリーワン」でいることが、そのアイテムを所有することの「喜び」になるのです。職人のひとつひとつの仕事が、その積み重ねが、私たちの「所有することの満足度」を刺激するわけです。私たちは、だから「ハンドメイド」に価値を認めます。工場で大量生産すればもっと安いはずなのに、手作りがいい理由はここにあったのです。