非効率だから「コスト」はかかる

ハンドメイドであるということは、作り手ひとつひとつ「手で作っている」ということです。工場などでの大量生産ではないということで、私たちはそのようなことに対しての「期待」を持っているはずです。

工場で作っていないということは、均一なフローに則った生産ではないということになります。つまり、「効率的ではない」ということになります。だからこそ仕上がりにムラが出たりするわけです。だからこそ唯一無二の魅力を持ち合わせることが出来るわけです。それを期待して買っているのは間違いないのですが、そこには思わぬ落とし穴があります。それは、「そのアイテムを作るために予想以上のコストがかかっている」ということです。商品を作るためにかかった「コスト」は、「原価」に加算されます。原価が「高くなる」ということです。すると、自然と販売価格も高くなります。

もしかすると、工場でシステマチックに生産した方が安く済むのかもしれません。同じ機能、同じデザインのものが、効率的に作れれば、その分「コスト」が抑えられるということになります。ですが、そうして出来上がるものはすべて「横並び」です。どこから見ても同じもの、どう見ても同じものなのです。ハンドメイド品を選ぶ際の理由のひとつに、「そのような均一製品は嫌だ」ということが挙げられます。高くても、唯一無二の「それ」が良いということです。工場で安く作られたものでは、そのような「自分だけのもの」ではないのです。みんなが同じものを持っているということになるのです。

また、そのハンドメイド品の「ポイント」がそれを作った「人」である場合も同様です。工場生産のアイテムでは、その「人」が出す独自の風合いなどを再現出来ないのです。私たちが求めるその「風合い」は、その「人」にしか出せないものであり、私たちはその「ニュアンス」ために少々高い対価でも払えるものなのです。「ハンドメイド」とはそういうものであるということを、納得しているのです。そのニュアンス、その「いびつさ」こそが、「価値」なのです。その価値に、私たちは少し高い対価を支払うということなのです。

もちろん、安くて性能が良い、要件を十分に満たして欲しいものもたくさんあります。お得に買いたいものもたくさんあります。ですがそのような「損得」と次元を超越するのが「ハンドメイドの価値」なのです。その人でしか作れない陶器などの一種の芸術作品は、如何に精巧にレプリカを作ったとしても、それでは納得出来ないのです。「本物」が、私たちが求めているものなのです。

求めているもののためならば、少しの出費は構わない、そんな価値観を持った人がさまざまなハンドメイド品を求めます。「少しでも安いものを」と考える人は、あまり魅力に感じないことが、価値を感じる人にとっては重要なのです。だからこそハンドメイド品の市場が成立しています。それを「作ること」が仕事としてなりたっているのです。「良いもの」は高いのです。「良いもの」を非効率的に作っているのです。そこに「安さ」などは求めてはいけないのです。「高くてあたりまえだ」と、その価値を認めることが必要です。世界にひとつしかない、唯一無二のアイテム、それは「高い」ものなのです。